iPhoneのTwitter/Twinkleにみる、情報伝達手段(メディア)の先祖帰り

iPhoneTwitterを使うようになり、先日のエントリーに書いた地震の時のTwitterの様子なども見るにつけて、情報伝達手段としてのメディアは、ひょっとするとiPhoneで使うTwitterのような形になっていくのかもしれない、と思った。

ちょうど、「次世代マーケティングプラットフォーム 広告とマスメディアの地位を奪うもの」という本を読んでいて、マスメディアの将来ということを考えていたところでもあったからだろう。同書が主張するように、今のメディアのあり方に近い将来、急速な変化が訪れる可能性があるのではないか、と考えるようになったのだ。

同書の占うところでは、マスメディアは、消滅はしないものの徐々にその役割を次の世代のメディアに譲って衰退していく、という。それは、コンピューターの世界で、パソコンがメインフレームなどの大型コンピューターの役割に取って代わっていったように、周縁から変化が起きるのだという。

原始的な情報伝達形態がどうであったろうかと考えると、やはりそれは、人から人への口伝えであったのではないかと推測される。事件がおきれば、それを見た人が、他の人へと口伝えに伝えていったところから始まって、それが時代とともに現代のマスメディアの姿にまで変化してきたということだろう。

マスメディアが出現した理由は、大きく言って2つあるのではないかと思う。一つは、一人の人間が収集できる情報の限界があるために、組織的網羅的に情報を集約する機関を必要としたこと。もう一つは、一個人として集まった情報の正確性を確かめる手段が限られ、また得ている情報の解釈(情報処理)をしきれないために、正確性や情報の解釈基準を必要としたこと。

この2つが理由なのだとしたら、Twitterのような新しいテクノロジーを使ったメディアが正当に進化していくと、マスメディアの存在理由がなくなるとまでは言わないまでも、存在意義が薄れていくことは確かだろう。

地震時のTwitterの書き込みのように、まだまだムラはあり、また言語の問題はあるものの、速報性が十分に担保された情報を、一個人が手軽に収集できる技術的な環境は得られるようになっている。これは、上記のマスメディアの出現理由の一つ目を満たすものになる。

また、多数の情報が集まることによって正確性が担保されるというWikipedia的な楽観論に立脚するなら、Twitter的な情報のソースを、類似の情報を自動的に整理集約するGoogleニュースのような仕組みを使って整理することで、個人の手元に集められた情報が正確でかつ解釈を容易にするような形で整理される、ということも技術的には期待できるところに近づいていて、これはマスメディア出現理由の二つ目を満たす可能性があるだろう。

”オオカミがでた”と叫ぶ少年の声が届く範囲は限られるけれども、Twitterのつぶやきならそれはネットにつながっている世界中に届くのであり、また一人の”オオカミ少年”のつぶやきの正確性は簡単には判断できなくても、それが複数の人がオオカミが出たと言ったり、あるいは、”またアイツがウソを言っているぞ”という反対の情報(意見)を勘案することで、情報解釈の妥当性が担保されていく可能性はある。

現代のテクノロジーを背景にしつつも、何かを見つけて叫ぶ、といった原始的な行為にメディアのあり方が先祖帰りしていく、ということなのかもしれない。

もちろんTwitterは数年前から主にPCで使われてきたものだが、iPhoneやケータイなどのモバイル機器から利用できるようになった、ということは、メディア論的には本質的な変化であると思う。つまり、人が叫び、その叫びを聴く、というようなリアルタイムの反応を、モバイルのTwitterが可能にしたからだ。

そうであるなら、twitterに向かって叫び(つぶやき)、そのつぶやきを聞く(見る)ということが、ソフトウェア的にも人間のスキル的にも洗練されていくなら、ある部分においてマスメディアの代役を果たせるようになる可能性は現状でも十分にある、ということだ。

そのうえ、iPhoneのようなデバイスであれば、webなどで過去のデータの蓄積にアクセスして情報の妥当性を確認することも容易かつ可能であるし、そういうプロセスを自動化していくことも難しくはないだろう。その意味で、ケータイ電話よりも、iPhoneTwitterを使うことの意味合いは、メディア論的に非常に興味深いものがある。また、Twinkleが、距離に応じて表示させるつぶやきを変えられることも、いわば”地域ニュース”を提供する機能になぞらえて捉えることもできる。

もちろん、Twitterはこうしたメディアとしての使われ方を想定して作られたものではないだろうから、そのままの形でメディアとして育っていく訳ではないだろうけれど、新しい情報伝達メディアの原始的な形態と考えることはできるかもしれない。

そういう視点で見ると、Twitterのつぶやきには、ニュース速報あり、芸術文化欄あり、スポーツニュースあり、天気情報も、というように、今の新聞やテレビニュースのカテゴリに相当するものが、すでに散りばめられていることに気づく。未来のメディアの”はしり”としてTwitterを眺めていると、またちょっとTwitterの見え方が変わってくるのだろう。