和式ケータイか、iPhoneか

iPhoneが日本でも発売されると発表されて約2ヶ月、発売から約1ヶ月。

この間、テクノラティによるブログ界での人気キーワードランキングではiPhoneがほぼ1位を独占し続けている。2位になったとしても半日かせいぜい長くて1日だったと思う。この間、公私両面の必要と興味から、主なブログの記事に目を通し続けてきた。

最近ではめっきり減ったものの、発表から発売してしばらくの間、iPhoneについて賛否両論さまざまな評価が書き込まれていた。こうした反応を読み続けているなかで浮かんだ仮説は、ちょっと乱暴ながら、

「拒否反応を示す20代、ゆれる30代、ウェルカムの40代」

大雑把に括ると、そういうことではないか、という気がしている。

20代(10代の後半も含む)は、ケータイが子供の頃から当たり前に存在していた世代。人によってはPCをほとんど使ったことがないし、自分のPCを持っていない人も多いらしい。

40代は、ケータイよりPCが先に身近な存在になった世代で、Windows95の発売に行列をしたのもこの世代。20代の頃に自分のPCを買うことができ、同時にインターネットの世界を知った。その分、テンキーを使ってケータイメールを打つことに違和感を覚えた世代。

30代はその中間で、PCとケータイが同じような時期に目の前に登場した世代。大学ではPCを使った授業がもう当たり前になっている一方で、ケータイも大学生の頃にはもう持っていた。ただ、この世代は、20代に近い方と40代に近い方で、大きなギャップがある気がする。

そういう大括りな世代の背景をベースに考えると、20代にとってiPhoneは、ある種の”異物”であり、生理的な拒否反応を引き起こしている。30代にとっては、PCとケータイとの両方の視点からメリットデメリットを観察する対象。40代にとっては、本当のモバイルコンピューティングの実現を予想させるガジェットとして興味津々、という図式なのではないか。

もちろん、ブログには書いている人の年齢がいちいち書いてあるわけではないから、文章の書き方とか中身とかを手がかりにした推測でしかない。その意味では、かなり乱暴なくくり方で、個別の個人の事情は千差万別なのだとは十分承知の上での仮説であり、実際にどうかということについては、検証が必要だ。

ただ、もっと柔軟に考えて、実際の年齢とは関係なく、便宜的に世代名を使った上記の3つの反応、つまり、20代的反応、30代的反応、40代的反応がある、という方がよいのかもしれない。

ここでポイントだと思うのは、世界を見渡したときに、この「20代的反応」をする人が、日本以外ではごくわずかであろう、ということ。日本のケータイ事情は確かに進んでいて、世界の主要都市でようやく一般的になった3Gも、日本は、韓国と並んで最も普及が早かった国の一つ。そういうなかで、3Gケータイがデフォルトで育った20代は、おそらく日韓両国にしか、まとまった数としてはいないのではないだろうか。ちなみに、韓国ではまだiPhone発売の見通しは立っていないから、iPhone導入(予定)国のなかでは、日本だけ、ということになる。

裏を返せば、世界のiPhone導入国では、「40代的反応」もしくはせいぜい「30代的反応」が主流なのではないか。つまり、iPhoneを肯定的に受け入れる、ということである。この違いは、非常に大きい。日本の若年層がiPhoneに拒否反応を示しているのだとすれば、それは将来、深刻な問題になるかもしれないというのが、私の懸念であり、ここで提起しておきたい問題なのだ。

日本以外のiPhone発売(予定)国は、3Gや3.5Gの普及もまだまだこれからという段階の国も多いから、もともとiモードのような2.5G〜3G向けのコンテンツもサービスもほとんどないところに、一足飛びに3.5Gを前提とした世界が生まれることになる。それは、サイトでいえば、ケータイサイトというようなものを生むのではなく、今のPCサイトをiPhoneでも見やすいように微修正する、ということになるだろうし、メールにしてもわざわざケータイ専用のメールなど用意しなくても、普段PCで使っているアドレスをそのまま使えばよい、というのが素直。でも、その素直なことが素直なこととして受け取れないのが日本のケータイの現状なのだ。

そういう中で、iPhoneを巡って新たなビジネスが生まれ、ネット利用の流れが変わるのだとしたら、日本の20代がそれを拒絶ないし無視することは非常に大きな損失だし、少し大げさに言えば、取り返しがつかない差がついてしまう、ということ。すでに40を迎えた世代でもちょっとマズいけれど、まだまだ先の長い20代、これから時代をリードしていくべき20代がそうなってはまずい。「ガラパゴス」というより「和式」という方が正確でふさわしいと思う日本のケータイの世界に引きこもっている間に世界が変わっていた、というのではシャレにもならない。

先日、海外在住の友達が、中米のその国でも富裕層がiPhoneをいじくり回している、というメールを送ってくれた。あー、やっぱりそうか、というのが感想だった。彼らはiPhoneをデフォルトに、ちょうど我々の世代がWindows95に興奮したような感覚で、ネットの世界を再発見するはずなのだ。ケータイの世界、というよりも、ネットをどう使うか、という意味で、iPhoneが地球規模でもたらすインパクトを、世代を問わず、しっかり見届けておくべきだと思う。

※補足:ここではわかりやすいように単にiPhoneと書いたが、実際にはiPhoneだけでなく、Googleのアンドロイド搭載ケータイなども含めた”iPhone的”ケータイが今後たくさん出回ってくるのだと思われる。それを代表させて「iPhone」と書いた。アップル製iPhoneの細部にわたるデキの善し悪しは、また別の問題と考えている。仮にアップルのiPhoneが失敗したとしても、iPhone的ケータイは、必ず生き残っていくと思われるからだ。