iPhone≪アップル“敗戦”≫ と、日本メーカーの決戦と

先のエントリ iPhone ≪アップル“敗戦”≫ を数字で読み解くと...で、ゆきちさんがコメントしてくれた、

ケータイにしろ、B-CAS入りテレビにしろ、国内メーカー同士の競争しか頭に入れず、外国からのメーカーが入りにくいようにして、なんとかぬるま湯につかろうというのが日本人の体質なんでしょうかね。いざ、国内では頭打ち状態になったら、国外に活路を求めるが結局失敗して、撤退するという繰り返し。いつになったら日本人は学習能力を発揮するのか。

この点について、ほかの方からコメントのメールを頂いた。

なぜ日本人が学習能力発揮できないのか、メールの内容を要約すると、

●国外に活路を求めるためには、日本のやり方そのままではダメで、必要なヒトとカネをさいて、商品をゼロから開発したり、サポートの体制を作るなど、ある程度時間をかけて(腰を据えて)取り組まなければならない。現場は、それを理解している。

●しかし、権限をもつ人たち(経営陣ということでしょう)は、日本のやり方そのままでは海外で通用しない、ということを身体で理解していないので、思い切ってヒトとカネと時間を割く決断をしない。つまり、痛みを受け入れようとしない(痛みが必要だ、ということを理解できない)。

●このため、中途半端な海外展開をするが結局うまくいかず、そうこうするうちに権限をもつ人たちは代わっていくから、責任の所在や失敗の反省が曖昧になり、失敗の経験が組織としては蓄積されない。(現場には蓄積されるが)

●そのため、一定の時間が経つと、また次の権限をもつ人たちは、上に書いた同じ失敗のサイクルを繰り返す。

という分析。これは、かなり実態をうまく表しているのではないか、という気がした。

これは日本社会全体の課題だけれど、問題の先送り体質、事なかれ主義(問題点や失敗があっても表面化させない)、ということが重なって、同じ失敗を繰り返していく、そういう構図なのではないか。


現在、日本の大企業で”権限をもつ人たち”、つまり経営陣はだいたい60歳前後。彼らが現場としての経験を積んだ時期を考えると、製造業の企業であれば技術的な時代背景もあるので20〜40歳頃と考えれば、今から20〜40年前、つまり1970-1990年頃。高度成長からバブルに続く時代で、モノを作れば売れた時代、日本で作ったものを、ほぼそのまま海外に持っていっても売れ、それが貿易摩擦を起こしていたような時代だ。それに、今のような”デジタル”ではない時代だから、マシンのメカが優れていれば良かった時代とも言えるのではないか。裏をかえせば、ソフトがなくても売れた時代、ということ。

この感覚が、いまの経営に持ち込まれているのだ、と思うと、メールでもらった分析に、さらに納得がいく。

現在の携帯電話は、単に通話ができればよいという”黒電話の無線版”ではなく、メールやネットをはじめとした多数の機能がひしめき合う商品。それを、黒電話の時代とさほど変わらない限られたインターフェイス(数字キープラスアルファ)でユーザーに操作して使ってもらわなければならないから、必然的に、物理的なメカの善し悪しだけではなく、ソフトの出来が製品の内容を大きく左右する。

現に、やや古い記事ながら、

携帯電話端末は、マルチメディア化やインターネット対応などの多機能化が進み、1機種あたり100億円以上にのぼる開発費の大部分をソフトウェア関連が占めるようになってきている。


「競争と協調の関係」──NECと松下、携帯電話開発で合弁会社 - ITmedia Mobile より

という世界だ。

しかし、現経営陣の現場時代にはソフトの存在が非常に薄く、したがってソフトの重要性を身体感覚として理解できていない可能性は高いのではないだろうか。言ってみれば、携帯電話を売ることが、黒電話を売っているような感覚、になってはいないか。

また、現場も含めて日本の製造業全体にソフト軽視の風潮は根強く残っている、と感じることがある。目に見えるものにしか価値を見いだせないから、”モノ”は大事にしても、ヒトのやった”コト”(=ソフト)を大事にしない。タダで当然と思われている(フシがある)”ソフト”より、価格にして何銭というネジ1本の方が経済的価値が高い、という風土の日本メーカーは、少なくないのではないか。これも、染み付いた企業風土ということと共に、トップの意識を反映したものといわざるを得ない。社員にどのような意識を持たせるかは、トップの重要な仕事のはずだからだ。

iPhoneを送り出した会社のトップは、こんな言葉を発していると、梅田望夫さんの本「ウェブ時代 5つの定理 この言葉が未来を切り開く!」に紹介されている。

問題は、ハードウェアにおいて、人がつくるより二倍優れた
コンピュータを生み出すことはもうできない、ということだ。
あまりにも多くの人が、いいコンピュータのつくり方を知ってしまっている。
運がよければ、1.33倍とか1.5倍くらいいいものはつくれるだろう。
でもそれだって六ヶ月もすれば皆に追いつかれる。
でもソフトウェアにはまだ可能性がある。── スティーブ・ジョブズ
The problem is, in hardware you can't build a computer that's twice as good as anyone else's anymore. Too many people know how to do it. You're lucky if you can do one that's one and a third times better or one and a half times better. And then it's only six months before everybody else catches up. But you can do it in software.──Steve Jobs
Steve Jobs: The Rolling Stone Interview, June 16 1994

この言葉は、今から14年も前の1994年に語られている。「コンピュータ」を「携帯電話端末」と置き換えても、今でもそのまま当てはまるのではないだろうか。


シャープが携帯電話の海外展開を始めている。日本企業全体としてみれば、携帯電話の海外展開には、各社がことごとく失敗し撤退したという過去がある。

それにも関わらず、シャープのように海外展開を再び目論んでいるのだとすれば、どのような戦略で臨もうとしているのだろうか。過去の失敗をどう活かして捲土重来を期すのか。残念ながら、私にはその点が伝わってこない。

もちろんそれは、企業として秘密な点があるために知ることができないという側面は、もちろんあると思う。ただ、出てくる製品をみれば、そういう戦略の一端を伺い知ることくらいはできるはずだと思うのだが...。

日本で売れなくなってきているから、というだけの理由で、つまり、いわば精神論のみで海外展開を目指しているようなことはないと信じたいが、もしそうだとしたら、それは太平洋戦争の時のゼロ戦特攻隊と同じだ。仮にそうなら、もうちょっと大きな視点でも、日本人の学習能力が疑われる、歴史に学んでいない、ということになる。

ゼロ戦がハードとして優れていたこと、乗っていた若い兵士も優秀であったろうこと(少なくても決死の覚悟で突っ込まされるのだから、勇敢さは疑いようがない)、しかしそれを指揮した軍上層部は精神論のみで無策だったこと...。どうも同じニオイがしてイヤなのだ。

iPhoneの≪アップル“敗戦”≫は真珠湾攻撃で痛手を被った米軍にすぎず、この先に太平洋戦争が、最後には”本土決戦”が控えている、というのでは、本当に学習能力がゼロだ。

日本の若い技術者・開発者が、疲弊から失業(事業撤退)へという”玉砕”を強いられないことを願いたい。