iPhone報道の読み方

そろそろ、予想通りのメディアの反応が出てくるようになった。取り立ててこの記事が問題なわけではないけれど、代表例ということで引用させていただく。

■アイフォーン発売1カ月 ブームは息切れ? 料金変更で販売てこ入れ
http://sankei.jp.msn.com/economy/it/080813/its0808130652000-n1.htm

発売当日に完売が続出する人気だったが、その後は「ブームは息切れ」との見方も出ており、販売元のソフトバンクモバイルはてこ入れに懸命だ。

たしかに、ソフトバンクはてこ入れに懸命かもしれない。しかし、「ブーム」を作ったのはいったい誰なのか。いわゆる”アップル信者”がいくら騒いだとしたって、7/11の発売当日の報道があそこまで過熱はしなかったはずだ。

実際に自分の足で歩いてみたけれど、発売日に報道機関が押し掛けたのはソフトバンク表参道やビックカメラ有楽町などごく限られた店舗でしかなく、新宿や池袋の量販店など、早々に整理券が配布しおわると完売の札が下がっているだけで、開店にはまだ早い時間だったから誰もいないか、せいぜい係員が数名といった状態で静かなものだった。もちろん、初回の入荷台数はさばききっただろうからヒット商品なのは間違いないとしても、この新宿や池袋の状況が、リアルな現実だったのだと思う。要は「ブームになった」というより、マスメディアが「ブームにした」、という方が正しい。

マスメディアにしてみれば、持ち上げておいて、今度は叩くというお決まりのワンパターンをやっているだけで”悪気”はないのかもしれない。そんなことみんなわかってるでしょ、ということかもしれないけれど、我々日本人はメディアとの接し方について教育を受けていないから、これを真に受けてしまう人も多いのではないか。特に、ネットより新聞、と思っているような日本の伝統的企業経営者層が、こうした記事に影響されやすいところが心配だ。日本のケータイ業界関係の経営陣が、「iPhoneはダメらしいな、ホッとしたよ。」「今まで通りやっとけば大丈夫だな。」といった会話を交わす姿を想像すると、気分が暗くなる。そこでホッとしている場合ではないはずなのに。

ブームを作った報道にしても、iPhoneはもちろんiPod touchすら触ったことがないままにiPhoneについて語ったり述べたりしていることがありありと分かるものが多かったし、それだけに見当違いな論調が大勢を占めていた。

たとえば、iPhoneはケータイの延長ではなく、どちらかといえばパソコンに近いデバイスだから、これを普通のケータイのように万人が持ち歩くということは考えにくい。だから、この記事にあるような「年間販売台数100万台」というケータイの大ヒット機種なみの数字が売れるという当初予測の方がそもそも非現実的と言うべきだろうし、そう報道すべきなのに、7/11前後の時点で冷静にそういう分析をしていたメディアを思いだせない。

また、マスメディア、特にテレビにとって、ソフトバンクを含むケータイキャリアと端末メーカーが広告主=スポンサ−として大きな存在感をもっていることは、ケータイ関係のテレビCMの数を考えれば自明のことであり、そういった事情も、報道に何らかの影響があるものと考えておくべきだろう。もちろん、ソフトバンクとドコモやauの利害は対立するわけだから、一概にどちらかにだけ偏った報道をするということではないかもしれないが。

問題は、こうしたメディアの報道には影響されないところで、どんな変化が起きていくのか、ということ。iPhone(と今後出てくるiPhoneのようなデバイス)は、一部のケータイユーザーと、一部のモバイルノートPCユーザーの需要を、今後も静かに取り込んでいく可能性は高い。それは、メディアが煽ったりしない地道な変化なだけに、目に見えるようになるのは時間がかかるかもしれないが、気がついたときには後戻りできない変化になっているのではないだろうか。

そうなる前に、「和式ケータイ」とは別ラインナップとして、iPhoneを研究したうえで新たな通信デバイスの姿を端末メーカーは模索していく必要があるがあるだろうし、キャリアにしてもデータ通信中心の利用に備えたあり方や、2.5G〜3Gの環境を前提にPCサイトの簡易版として生まれたモバイルサイト、特に公式サイトのあり方については急いで検討していかないと、本当にガラパゴスになってしまうかもしれない。いずれにしても、日本のケータイ業界が、次の”波”に備えておく必要性は高いはず。

そういう必要性を覆い隠してしまいかねない、ブームを作って次には叩く、という報道姿勢は、報道被害を生むだけで、何のプラスもないと思う。

私が、「ガラパゴスケータイ」ではなく「和式ケータイ」という言葉を提案したいのは、日本のこれまでのケータイを取り巻く環境が決して世界の動きと隔絶されていたとは言えないのではないか、ということと、なにより、いずれにしてもメインストリームに戻れない「ガラパゴス」の生物たちのようになるのではなく、和式から脱却して世界のメインストリームの中に、日本のケータイ業界が返り咲いて欲しい、と願っているから。

「和式」は、失礼ながら便器からとらせてもらったネーミング。たしかに和式便器は衰退しているが、清掃の手間のない便器や、ウォッシュレットのような洗浄便座など、洋式便器の世界ではおそらく日本はトップクラス。ケータイの世界でも、ぜひそうなってもらいたいという、ここ10年ほど日本のケータイ業界と関わってきた私の個人的な願いを込めて。