大阪府のケータイ禁止令は、教育責任の放棄ではないか

大阪府橋下知事が、府内の小中高生に携帯電話の学校持ち込みを禁止する方針というニュースがあった。中央の政治家から保護者に至るまで、この禁止令に賛同する声が多かったようだが、本当にそれでよいのか。

これに異を唱える論者もあり、私はこの記事に賛成、つまりケータイ禁止令に反対の立場である。

橋下知事の「ケータイ禁止令」の波紋…親と子供はケータイとどう向き合うのか? - 日経トレンディネット

記事を補足しながら、反対する理由を明らかにしたい。

子供たちが成長する過程において、禁止すべきものと、そうでないものには明確な基準があると、私は思っている。それは、一生のうちに、望むと望まざるとを問わず関わる必要性があるかどうか、という基準である。

禁止すべきなのは、子供たちが一生涯にわたって関わる必要性がなく、関わるべきではないもの、たとえば麻薬である。こうしたものは絶対的に例外なく禁止すべき性質のものだ。一方で、いずれ社会に出ることによって接したり経験することになるものは、大人が一定の段階において、教育の一環としてコントロールしながら子供たちに経験させたり教えたりするべきなのである。典型的なのは性の問題(性教育)があり、携帯電話もまた、この範疇に入るはずだ。

橋下知事はじめ、禁止令賛同者が携帯電話を麻薬と同列に捉えているのだ、というなら、これは見解の相違であるから、議論は平行線である。しかし、ニュース記事によれば、知事は、子供たちも大人になればいずれ携帯電話を使わざるを得なくなるから学校のうちは触らなくてよいのだ、という趣旨の発言をしている。そうであるなら、子供のうちから、きちんと携帯電話の活用法を、マナーも含めて教育の対象として正面から向き合うべき、と私は思うのである。

それに、いずれ社会に出ることによって接したり経験することになるものを、過度に公的に規制することは、歴史の教訓からも好ましくない。規制しようとして失敗するだけならまだしも、より大きなマイナスの副作用を生んでしまったケースは、過去いくらでもある。たとえば、社会の健全化を図ろうとした禁酒法がマフィアの隆盛を生んでしまったアメリカ。受験競争の緩和をはかる目的で導入した学校群制度や”ゆとり教育”で、競争が私立校や塾に移ったばかりか、教育の経済格差まで生んでしまった日本。いずれも、当時の世論はこうした規制を支持し、民主制で選ばれた為政者が規制を実施したのである。歴史に学ばない民主主義は衆愚主義に陥る危険性が高い。

酒にせよ(受験に限らず)競争にせよ、プラスマイナス両方の側面をもちながら社会に存在するものであるから、マイナス面ばかりをみて規制してもうまくいかないことは、何度も歴史が証明しているのである。また、その失敗を積み重ねるのだろうか。

また、この禁止令は大人の論理であって、本当の意味で子供のためといえるのか、疑問でもある。記事が指摘するように、ケータイの社会に大人が参画する面倒を、安易な規制で逃げているように思う。これは、大人の教育放棄ではないか。また、知事の一連の判断は、学校には持ってこなくても、学校外では間違いなく使われる携帯電話の問題を、府としては禁止しているのだから知りません、という逃げの姿勢を感じるのだ。いずれも、子供のためではなくて、大人の論理なのだ。

さらに、パソコンは学校教育の一環に取り入れておきながら、携帯電話は禁止する、というのも筋が通らないとも思う。メールやウェブアクセスといった機能の面ではパソコンと同様の機能をもつ日本の携帯電話を、パソコンがない家庭の子供とか、あるいはパソコンが使えない状況下で、どう活かしていくかを教えるのも情報教育の一環のはずではないか。むしろ、これだけ高機能な端末が幅広く普及しているという日本の状況を、教育にもプラスに活かしていくことが、日本として取るべき国家戦略なのではないか、とさえ思う。

参考になるアメリカの事例がある。ニューヨークの教育委員会SAMSUNGの取り組みである。

For ‘A’ Students in Some Brooklyn Schools, a Cellphone and 130 Free Minutes

簡単にいうと、生徒が学校でがんばれば、ご褒美に携帯電話の利用料金のチャージがもらえて、経済的に豊かではない家庭の子供も含めて携帯電話が使えるようになる、というプログラムである。もちろん授業中の携帯電話の(私的)使用は禁止で*1、学校でがんばって勉強するほどに使えるチャージが増える。こういったアメとムチの仕組みは、多いに参考にするべきではないだろうか。

また、携帯電話業界の企業は、マナーキャンペーンに代表されるような”使わないでください”という消極的な取り組みだけではなく、こうした教育現場での携帯電話の有効活用を、学校や教育機関と組んで積極的に支援していくべきではないだろか。親にも子供にも、そうした企業姿勢は好意的に受け止められるはずではないかと思うのだ。SAMSUNGはニューヨークのプログラムで端末を提供しているらしい。日本では子供に端末が買えない家庭はアメリカよりも少ないだろうが、大きな仕組みとしては大いに参考になると思う。

以前のエントリーで、有害サイトフィルタリングについて、業界の首が絞まらないかという問題提起をしたが、ここまで規制を広げるとなると、子供たちの将来にも影響があるだろう。今の子供の世代が携帯電話と関わらずに一生を送っていけるとは思えない。むしろ有効に使いこなすことができなければ、海外と日本の垣根がますます低くなる将来、日本の子供たちが遅れを取ることにつながる可能性もあり、大げさにいえば日本社会全体の首が絞まってしまうかもしれない、という重要な問題であるはずだ。

将来を見据えた十分な議論と検討を経ない、性急な対応に警鐘を鳴らしたい。

*1:放課後にならないと端末に電源が入らない、とも聞く