”ネット世代”のケータイの使い方 「デジタルネイティブが世界を変える」を読んで

気になりながら買っていなかったドン・タプスコット氏の最新の翻訳書「デジタルネイティブが世界を変える」を、twitterのご縁で@akihitoさんから頂いた。

本全体の書評と、余談として、私がこの本を頂いたいきさつについては、@akihitoさんのブログ(【書評】若者を理解するだけでなく、自らが変わるための一冊『デジタルネイティブが世界を変える』:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ)をご一読頂ければと思うが、本の中でネット世代の携帯電話利用について書かれている部分があったので、本を頂いたお礼も兼ねて、ここではそこにフォーカスして少し書いてみたい。

この本でいう”ネット世代”とは「1977年から1997年の21年間に生まれた人」と定義され、現時点で12歳から32歳の人たち、米国では人口の約27%を占める8110万人が該当することになる。(当然のことだが、この本は基本は米国のデータ・事例を中心として書かれていることは、最初に確認しておきたい。)

著者によれば、ネット世代にとっての携帯電話は、もはや「電話」という呼び方は適切ではなく「相棒」とか「副操縦士」とでも呼ぶべき存在になっている。これは、日本の同世代にとっても同じだろう。この点で日米に差はないと思われる。

2002年以降パソコンの利用者数よりもインターネットの利用者が多くなり、その差が開くばかりであることは、携帯電話からのインターネット利用が増え、パソコンを凌駕する存在になってきていることの証である、という。実際、パソコンを買ってネットに接続する環境を整えるよりも、携帯電話を買ってネットに接続する方がはるかに手軽で安価であるから、これはうなづける。

そういう環境の中で、ネット世代は携帯電話を使ってソーシャルなネットワークを構築し、コラボレーションとリレーションによってスピーディーにイノベーションを起こしつつある。タプスコット氏の主張を要約すると、こんなところだろうか。

そこで気になったのが、電子メールの位置づけだ。日本は、アメリカを含む諸国と比べて圧倒的に電子メールの利用が高く、テキストメッセージの利用が極端に少ない(78ページの図2-5)。これは、日本でのSMSの利用が著しく不便*1であるかわりに、iモードメールを代表とする携帯ベースの電子メールの利便性を高めてきたキャリアの施策によるところが大きい。こうした背景があって、いわゆるデコメや絵文字が広く普及したので、自分を表現する場として電子メール(それも、ケータイのメール)が異常に突出してしまっているのが日本の現状と言えるのではないだろうか。

一方、本書で指摘されている(アメリカの)ネット世代にとっての電子メールとは「はるか昔のテクノロジー」「公式的なコミュニケーションの手段」で、2007年の調査では、電子メールは専門家向けと答えた人が48%、電子メールは面白くないと答えた割合が31%にのぼった、という。

このギャップは気になるところである。

確かに、日本でのネット世代の間でも、モバゲータウンmixiなどのSNSの利用率は高い。SNSは、Facebookなどのように世界規模で利用されているものもあるが、各地域や国ごとのローカルなSNSも根強い人気があるから、日本の状況だけが特殊だとは思わない。しかし、ケータイネットの世界がパソコンを凌駕していく過程で、そうした地域や言語ごとに閉じたネットワークが、次第につながりだす日が来ると思って間違いない。

そうなったときに、言語の壁の問題もあるが*2、それと同じくらいに、コミュニケーションをとる手段に対する意識の違いが、障壁になってこないだろうか。日本人が絵文字いっぱいのメールで精一杯コミュニケーションをとろうとしても、相手にその気持ちが伝わらない、それでネット世代の日本人ががっかりしてしまう、といったことが出てくるのだとしたら、看過できない問題だと思う。

また、ネットの活用の仕方、ネット上のサービスのあり方も、パソコン(だけ)を前提にしたものから、ケータイを前提にしたものが主流に変わっていくと思うが、現在の日本のケータイでのあり方が世界の標準となっていくのかどうかは、注意していかなければならない。今の流れだと、webブラウザを通して利用するもののほかに、ウィジェット(アプリ)を使っていくサービスも多くなるだろう。そのときに、今の日本のケータイのブラウザやウィジェット(アプリ)が、コミュニケーションの妨げにならないようになっていかなければ、日本のネット世代が世界から孤立してしまう。

タプスコット氏のネット世代に対するスタンスはポジティブにすぎるきらいもあるが、日本のネット世代だって、大人が思っているよりもずっと賢いのではないか*3。それに、自転車だって転んで膝を擦りむきながら乗れるようになるのと同じで、ネットのポテンシャルを自在に駆使することができるようになるためには、最初は”擦りむく”ような経験も不可欠だし、また”擦りむく”程度ですむように見守ってあげるのが、親や大人の役割だと思う。以前のエントリーにも書いたが、長期的な視点をもってネット世代、特にまだ成人していないネット世代の成長を促すことを考えたいと思う。


本書は大著だが、見出しや図表を追っていくだけでもヒントがたくさんあるし、気になった部分を拾い読みしていくだけでも、ネット世代が何を考えてどう行動しているのか、日本のケースでも当てはまるところは非常に多いと感じた。多くの人、特にネット世代が分からないと感じている”おとな”世代の人たちに目を通していただけると、建設的な方向でネット世代と向き合えるきっかけがつかめるかもしれない。

余談ながら、筆者はネット世代の一世代前の「ジェネレーションX」。タプスコット氏が定義する「ネット世代に類似したコンピュータやインターネットの利用習慣を持つ最年長の世代」として、上の世代とネット世代の橋渡しをしつつ、ネット世代が世界を変えていくことに、自分も積極的に関わっていきたいと思っている。

もうひとつ余談ながら、twitterというネット上のサービスがきっかけで@akihitoさんにお会いすることができ、本の受け渡しだけでなく、ランチをともにしながら有意義なディスカッションをすることも出来た。単に本が必要なら買えばよいだけだが、今回は本を頂いたことに留まらない価値がある出来事だったと思う。それに、ただ買っただけなら積ん読になりそうなところを、ちゃんと目を通してブログに書くきっかけにもなった。こうしたリアルとネットの境界線を容易に飛び越えて行き来するという経験は、メールをはじめとするこれまでのネットの使い方ではなかなか起きにくかったけれど、このところ急速に数多く経験したり目撃したりするようになってきている。ネット世代(とそれ以降の世代)が当たり前のように感じている現実(リアル)とはそういうもの、つまり私たちより上の世代にとってリアル+バーチャルなものが彼らのリアルなのかもしれない。

*1:違うキャリア間でSMSがやり取りできないという国は珍しい。

*2:英語といえば英「会話」、という意識は改めなければならないだろう。ネット世代にとってまず必要なのは英語を「読め」て「書ける」ことであり、会話の優先度はその次である。英語教育の意識改革が必要な時期に来ていると思う。

*3:例えば、高校生の約7割が「携帯電話で知らない人とやりとりするのは怖い」:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ