iPhoneの絵文字を、”ユニバーサル絵文字(Universal Emoji)”に

MacRumorsが伝えるところによると、近いうちに公開されるであろうiPhoneOSの次期バージョンアップ版 2.2では、461種の絵文字に対応するらしい、とのことだ。

iPhone 2.2 Includes Hidden Japanese Emoji Icons - MacRumors

これまで、いわゆる(ドコモの名称だが)”デコメ絵文字”はiPhoneメーラーでも受信できたが、通常の絵文字はできなかった。それが日本でiPhoneの普及を阻害する一つの大きな原因である、とするのが、もはや定説化していると言っていいだろう。それを解決することになるかもしれない、というのがこのニュースの一般的な受け止め方であり、私もそう思う。

だが、それ以上に私が気になるのは、果たしてこれは日本語利用時のみの対応なのだろうか、ということだ。日本語以外の言語の利用者にも、簡単に利用できる形で提供されるかどうか、というのは、案外大切なポイントではないかと、私は思っている。

絵文字は、日本の携帯電話のメールで大きく育ったひとつの文化と言える。では海外では全くないのかと言えばそうでもない。たとえばFacebookのチャットでは、顔文字(ただし欧米式に :-) といった具合だが)を入れることで、自動的に絵文字に変換されるサービスもある。もちろん、絵文字のバリエーションなどは、日本のケータイ絵文字には遠く及ばないものではあるが、こうした絵文字が海外でも受け入れられる一定の土壌・可能性はあるのだと考えられる。

そうなら、せっかくの絵文字の文化を、単にiPhoneの日本人ユーザーの中に留めてしまうのではなく、世界に向かって絵文字を広めていく努力があってもよいのではないか、それは案外エキサイティングなことではないか、と思うのだ。

この点で印象的に覚えているのが、林信行さんのブログにあった以下の文章である。

「日本の企業は、そもそも国際標準化などについて積極的ではない」というのも最近よくする議論の1つだが、これはUnicodeについても同じようだ。
標準化に関わっていた方の目からすれば「絵文字を大事な文字として広めようという考えがあるならば、積極的にUnicodeなどに盛り込むための働きかけをするべきだというのが、氏の意見だ。
もっともな意見だと思う。
日本のキャリアがそうしなかった理由は明白だ。
絵文字は、キャリアがメールのバイラル的な効果を使って、ユーザーとその友人を自社製品に囲い込むために普及したという背景があるからだ。

nobilog2: このままでいいのか?ケータイ絵文字

ユーザーの囲い込みのために絵文字が普及したという過去の事情はともかくとして、これから、日本でここまで広まった絵文字をどうやって世界に広めていくのか、という視点があってもよいのではないかと思う。

絵文字の内容については、文化的な背景や地域差による影響がありそうだけれど、そこをどのようにして世界標準を狙うか。せっかくなのだから、言いだしっぺというか、使いだしっぺの日本人が、音頭を取って進めていけたらすばらしい。メールをはじめとする、ネット上の文字の世界における文化として絵文字を育てていけるか。メールよりも文字数が限られるSMSやTwitterなどで効果的に使えるということが実証されれば、案外普及するのかもしれない。

それを誰が取り組むのか、というのはちょっと難しい問題のように思うけれど、企業が取り組むなら、それを何らかの形でマネタイズしようという営利的なインセンティブがあってもよいだろうし*1、何らかの方法で個人や非営利団体が貢献する、ということでもよいと思うのだ。

世界で使われるためには、Unicodeや一部のピクトグラムのような標準化の過程は必要になるだろうし、そこでは日本人に限らず様々な国・地域・文化を背景に持つ人々と協議していくことも必要になってくる。日本にはマンガmangaという文化を世界に輸出した実績があり、その延長線上に絵文字を捉えて、ピクトグラムが目指すような普遍性を加味していくなら、世界の多くの人に受け入れてもらえるEmojiの作成ができるのではないかと期待できるし、その音頭を取るのに日本人は適役なのではないだろうか。

そのようにして生まれる”ピクトグラム的絵文字”、ここでは仮に”ユニバーサル絵文字”と呼ぶことにするが、これはコミュニケーションにおけるユニバーサルデザインを実現する一つの手段にもなる。絵や写真が一目瞭然に伝えるメッセージは、iPhoneという国境の垣根が低いメディアのなかでユーザー間の言語の壁を取り払う一助になっているけれど、この”ユニバーサル絵文字”は、それを一歩言語の方に近づける役割を果たすことにもなると思うのだ。極端にいえば、この”ユニバーサル絵文字”だけで記述された文章なら、シンプルな意味しか伝えられないにせよ、言語を問わず理解できる、ということになったら、それはかなり素敵なことではないだろうか。

もちろん、そもそも絵文字が要るのか、という議論もあるだろう。私自身、世代的にも取り立てて絵文字は使わない、なくても困らないというのが実際のところだ。でも、どうせなら、これまで絵文字を使ってこなかった層も納得がいくくらい、洗練度を高めたものを作り出せたらと思う。それに、この”ユニバーサル絵文字”が実現したら、iPhone上のコミュニケーションが、そしてiPhone以外にもひろまっていけばネット上のコミュニケーション全般が、もっと面白くなりそうだな、と思うのだ。

*1:営利団体としての企業が取り組む以上、すべての企業活動はなんらかの形で営利に向けられたものである、ということは当然のことだ。日本ではこういうことを言うと反発されがちなのだが...。